『新潮45』1月号に男系「限定」論がいよいよ
追い詰められたと感じさせる文章が載っている。
村上政俊氏の一文。
「歴史を紐解けば、頼りになるのは傍系継承」
「いわゆる女系容認で皇位継承が安定するというのは嘘だ。
…いずれかの時点で今上陛下の子孫が女系を含め全て絶えることは
充分ありうる」と。
「いずれかの時点で…ありうる」と言われたら、
誰も否定できないだろう。
だが、皇統の断絶は何としても避けねばならない。
その為にはどうすべきか。
女系容認で絶対安心とは思っていない。
そうではなくて、側室不在の条件下で、いつまでも
「男系の男子」限定に固執していると、皇位の継承は行き詰まる
他ないという危機感を抱いているのだ。
同氏は傍系継承を「頼り」にしているようだが、
傍系継承を可能にする宮家の存続自体も、「男系の男子」限定だと
同様に行き詰まる。
「女系」「女子」に広げても危ないなら、
「男系の男子」限定なら“もっと”危ないということ。
中学生でも分かる話だ。
村上氏は平安時代に一旦、皇籍を離れて3年後に復籍して即位した
宇多天皇や、その皇籍離脱していた間に生まれた醍醐天皇の例を
持ち出して、
「皇籍をいったん離脱した皇胤もしくはその子孫に皇位継承権を
認めることができる」と言う。
しかし、そのような異例が過去にあっても、明治の皇室典範増補で
明文でその可能性を否定し(第6条「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族
ニ復スルコトヲズ」)、今の典範でもその趣旨を踏襲したのは何故か。
わが国では皇室の血筋を受け継ぐ国民は多い。
だから、「聖域」である皇室に生まれ育って、現に皇族で
いらっしゃるという枠を曖昧にすると、皇室と国民の区別
(古い表現では「君臣の別」)を確立するのが困難になる為だ。
しかも今、民間で生活している「男系の男子」とされている人たちは、
僅かな期間だけ皇籍から離れた父を持つ醍醐天皇の例とは、まるで
かけ離れている。
村上氏の主張は、「男系の男子」に拘り、そのせいで今の皇室の血筋を
引く人がいなくなっても、民間のどこかから「男系の男子」を探し出し
て、皇室に連れて来れば良い、と言っているに等しい。
「男系の男子」限定という無理な制約を続けて、その人たちの血筋も
途絶えたら、また別の人たちを民間から探す。
それを無限に続ければ「万世一系」の皇統は窮まり無し!と。
男系限定論はそこに行き着くしかない。
だが、そんな皇室を誰が相手にするのか。
ご苦労なことに、旧宮家系国民男子“以外”の「男系の男子」を
早手回しに探したのが、同誌の八幡和郎氏の文章(氏自身は男系限定論
者ではないが)。
河内長野市の長野神社の神職、梶野行良氏(38歳)とか、
大阪北新地でワインバーを経営している徳大寺公仁氏(39歳)とか。
こうやってどんどん広げて行けば、男子ならかなり広範な人たちが、
そのまま皇族になれるという話になってしまう。
やれやれ。
拙著『天皇「生前退位」の真実』ではこう指摘しておいた。
「皇室の血筋を引いている国民は、何も“旧宮家”の人々だけではない。
いっぱいいる。
明治以降だけでも十数人の皇族が国民の仲間入りをしている。
前近代も視野に入れると果てしなく広がる。
だから、(皇位継承資格から)(5)(皇族限定)を外してしまうと、
皇室と国民の区別がアイマイになる。
その『聖域』性を守りにくくなる」(181ページ)と。
一体、皇室の尊厳をどう考えているのか。